ゆきの子供達 第四十三章 鬼との遭遇
少しして、ゆき達が森を通り抜ける途中、偵察から戻ってきた家来が告げました。「殿、一町ほど先で、倒れた巨木が道をふさいでおります。先へ進むことは不可能と思われます」
若殿は家来に尋ねました。「他に通れる道はないのか?」
「あの村は狭い谷の奥にあるので、他に道はございません」と家来は答えました。
「そうか…」と若殿は呟き、ゆきの方へ向きました。そして、「もう城へ戻ろう」と若殿はゆきを促しました。
ゆきはきっとした顔つきで首を振り、「私はそれぞれの村を訪ねたいと申しました。安全で行きやすい村だけを選んで訪ねたいと申した覚えはございません。すべての村を訪ね終えてから、戻るつもりです」と、若殿の目をじっと見つめながら答えました。
若殿はゆきの目を見つめました。ゆきの瞳は真剣そのものでした。若殿は溜め息をつきながら、「仕方ない。斧を持っていき、木を取り除いて、なんとか道を通れるようにしなさい」と命じました。
それから、ゆき達は倒木のそばに集まり、三人の家来が、斧で木を切ろうとしました。ところが、斧が木に当たった途端、その木は激しく動き始め、怒号が辺りに響き渡りました。「俺様の昼寝を邪魔するのはどこのどいつだ?」木だと思っていたものは、なんと鬼の足だったのです!
鬼はゆっくりと立ち上がりました。ゆき達の馬は、鬼の気迫に押され、興奮し暴れ出しました。ゆきが宥めるために撫でながら声をかけようとした、まさにその時です。普段は大人しいが今は興奮した牝馬が前足で地面を高く蹴り上げ、必死にしがみつくゆきを一気に地面に叩きつけたのです。あたりはひどい混乱状態に陥ってしまいました。
鬼は、「俺様は、弟に会うためにここに来たのに、あいつの岩屋には誰もいやしなかった。この辺りの人間が、俺様が着いてあいつらを食う前に、すでに弟を殺してしまったに違いない。お前ら、何か知っていることがあるか?」と言いました。その声はまるで雷鳴のように、辺り一面に轟きました。
すると「出たわね、この木偶の坊、私の父がその鬼を退治させたのよ」と鬼の低い声とは真逆に、鐘のような弾む声が聞こえました。その声の主は狐子でした。狐子は、石の上に座りながら「兄弟そろって間抜け面の見本市でもやるつもりだったのかしら。戦うだけ無駄ね」狐子はドロンと自分の姿に戻り、石に座ったまま、のんびりと毛づくろいを始めました。
鬼はにやりとし、「お前のようなちびの女狐が俺様の相手になるはずもない」と言いました。狐子は何の反応もせず、今度はの尻尾の毛づくろいをし始めました。「尻尾が二本だろうが、百本だろうが、俺様には関係ない。叩きつぶしてやる」と言うと、鬼は松の木を引き抜き、それをまるで棍棒のように操り、狐子に向けて振り下ろしました。鬼が木を振り上げると、そこには狐子は影も形もありませんでした。頭がよくない鬼は、釘を打つように狐子のことを押しつぶしたつもりで、「軽いもんだわい」と満足な声で言うと、「あらこっちよ、のろまちゃん。その松の木を枕に、お昼寝するところだったわ」と笑う声が後ろから聞こえました。狐子は少し離れた所に立っていました。次の瞬間、鬼に向かって駆けてきたかと思うと、狐子は鬼の踵を噛んで、また遠ざかりました。
「畜生!止めろ!うっとうしい女狐め、そこを動くな!」と、鬼は松の木を振り回しました。
狐子はそんな風にして、徐々に鬼をゆき達のいる場所から遠ざけていきました。
そのおかげで、家来たちは馬を捕まえた後、少し落ち着くことができました。若殿はゆきの目を覚まそうとしました。「ゆき!起きなさい!逃げるんだ!」
ゆきは目を開けました。「あの、何があったの?頭が痛い…」と言うと、ゆきは目を丸くして続けました。「鬼だったの?どこ?」と、慎重に辺りを見回し、鬼が少しずつ遠ざかっていることに気づきました。「誰かが鬼に追われているのですか」
若殿は、「狐子だよ。狐子が我らから鬼を遠ざけている。今のうちだ、さあ逃げよう!」と言いました。
ゆきは、「それが侍のお言葉でしょうか。女子に戦わせて、ご自分はお逃げになるとは。それに、あの鬼を止めなければ、これからまた何人の農民が殺されてしまうことか。侍のつとめは国を守ることではございませんか。農民は国の生きた血です。農民を失えば、国が滅んでしまうことでしょう」
「あそこを見て!狐子が噛んだ踵のところに、狐火が憑いています。あそこを深く切れば鬼は必ずひっくり返るでしょう!真の侍なら出来るはずです」とゆきは言いました。
「そうか!見えるぞ!よし、やってみる」と、若殿は刀を抜こうとしましたが、「殿、お待ちください」と言う声が聞こえました。家来がゆき達に近づいてきました。
「お考え直しください。農民は国の生きた血ではありますが、殿は国の御心でございます。お世継ぎがいらっしゃらない殿に、万が一のことでもございますれば…」
「我ら家来の最も大切なつとめは殿を守ることでございます。拙者の父は、この刀と共にゆきさまのお父上にお仕え致しておりました。しかし、刀を父から譲り受けた拙者は、お父上を倒した大名に仕えることとなりました。これは拙者にとって真に不名誉なことでありました。ですから、そのお役目は私めにご命じください。たとえ我が命と引き換えてでも、あの鬼を倒すことで汚名を返上致したいのです。殿にはとどめの一太刀をお願い致します」
若殿がゆっくりとうなずくと、家来は鬼の方へ向きました。木の間を走りぬけ、鬼の様子を窺いながら少し待ち、また次の木の陰へ向かって走りました。若殿も同じように、家来の後ろを少し離れてついて行きました。そしてようやく、家来は鬼の近くまでたどり着きました。もう一度、鬼がまだ気づいていないのを確かめてから、鬼の踵のそばに駆け寄り、力いっぱい刀を振り下ろしました。鬼は激高しながら切られた足を持ち上げようとしましたが、松の木を棍棒のように振り回していたので、重心を失い、ついには地面にひっくり返ってしまいました。
鬼が倒れたのを見て、すぐに若殿は鬼の頭のところに駆け寄り、刀を抜き、一振りで鬼の首を切り落としました。一段落した後で、足に斬りつけた家来が立っていた辺りを見ましたが、そこには誰もいませんでした。「おい、どこだ?大丈夫か?」と呼びかけると、家来が答えました。「こちらにおりますが、身動きできないのでございます。鬼の足が拙者の腕に乗っているのです」
家来たちは彼を鬼の足の下から助け出しました。一方、狐子は人間の姿に化け、若殿のところに戻ってきました。「とっても楽しかったわ。今度はどんな鬼に会うかしら」と言いました。
「やれやれ」と若殿は苦笑いしながら言いました。