ゆきの子供達 第五十三章 狐子の話
二人がゆきの部屋に着くと、女将が洗濯ものを行李にしまっているところでした。ゆきは身重の身体で狐子に足早に手を引かれてきたので息を切らしていました。ゆきは乱れた息を整えてから、「女将さん、狐子ちゃんが帰ってきたんですよ。狐子ちゃん、こちらは私が以前働いていた温泉の女将さんなんです」とお互いを紹介しました。
狐子と女将が挨拶を交わすのを待って、ゆきは、「女将さん、狐子ちゃんが戻ってきたので、狐子ちゃんと一緒に夕食を楽しむつもりなんです。台所に食事の用意を頼んでから、そのように旦那様に伝えていただけますか?それから、今晩予定していたお客に明日にしてもらうよう伝えていただけませんか?」と頼みました。
女将が去ってから、二人は縁側に腰を降ろしました。「どうやって家老と知り合いになったのかを教えてくれない?」
「うん。何から話したらいいかしら。ああ、そうね。昔々、ある雌狐が侍と恋に落ちました。やがて、二人は結婚しましたが、二人の生活は長く続きませんでした。殿様の命令で、侍はすぐに戦に行ってしまったのです。二、三ヶ月が過ぎた頃、戦は終わり、侍達は城へ戻ってきましたが、雌狐はその中に夫の姿を見つけることはできませんでした。雌狐が夫のことを尋ねてみると、討ち死にしたと伝えられました」
「雌狐は悲しみに打ちひしがれて、夫のいない村で一人で暮らすよりも、できるだけ早く自分の家族のところに戻りたいと思いました。でも、すぐに戻る訳にはいきませんでした。雌狐のお腹の中には新しい命が宿っていたのです。狐の中で人間の子を育てるのは難しいことが分かっていたので、戻って産むことができなかったのです。それで、雌狐は侍の家族のところに移り住みました」
ゆきは話を遮りました。「どうして戻ることができなかったの?狐と人間の間の子供ってどういう風なの?」
狐子は答えました。「見た目は人間の姿になることが多いの。人間の中で育てば、たいてい神童だということになるわね。でも狐の中だと成長して大人になっても子狐にさえ勝てない、弱い狐になってしまうのよ」
ゆきが「へぇ。そういうものなの」と答えると同時に、廊下から「よいか」という若殿の声がしました。
二人が「どうぞお入りください」と言うと、若殿は襖を開け、部屋の中に入って来て、「狐子、おかえり」と言いました。
ゆきが、「狐子ちゃんはうちの家老と昔からの知り合いだったそうなのよ。今、出会った頃の話をしてもらっているんです」と説明すると、「私も聞いていいかな」と、返事を待たずにゆきの隣に腰を降ろしました。
狐子は続けました。「とにかく、子供を授かった雌狐は、亡くなった夫の家族の家に移り住んだのです。来る日も来る日も、雌狐は悲しみに打ちひしがれたままでしたが、お腹は順調にどんどん大きくなり続けました。そしてついに、雌狐は赤ちゃんを産みました。しかし、雌狐は、夫のことを諦めた時から、産まれた子を決して見るまいと、強く心に決めていたのでした。いくら義母が頼んでも、きっぱりと断りました。一目でも見てしまうと、離れ辛くなると思ったのです」
「その夜、雌狐は家を出て近くの川に飛び込み、自分の家族のところに帰りました。しかし、自分では何もできないものの、気が気ではなかったので、弟に産まれた子供を見守ってくれるようにと頼んだのです。そして、二度と人間の土地に戻ることなく、実は今でも自分の住処に独りで暮らしています。遠く離れていても、雌狐は一時も忘れることなく子供のことを思い続けているのです」
「雌狐がいなくなった翌朝、侍の両親は嫁の不在に気付き、村中を捜し回りました。でも、どこにも見つからなかったので、とうとう最後は川で溺れ死んだのだろうと諦めたのです」
「そんな騒ぎの中、侍の母親は数日前に近所の農家に赤ん坊を亡くした女がいたことを思い出し、乳母として迎え入れました」
ゆきが声を上げて、「その子が家老なの?」と訊くと、「違うのよ。その子は女の子だったの」と狐子は答えました。
「雌狐の娘はすくすくと育ち、年が経つにつれ、綺麗で賢くなっていきました。また、娘は茶道にも長けていました。縁あって、娘は住んでいる国の若殿の目を引き、すぐに二人は結婚しました。雌狐の弟は姪をずっと見守り続けていました。普段は遠くから見守っていましたが、時々人間の姿に化け、姪のところを訪ねることもありました」
「間もなく、雌狐の娘に息子が産まれました。同じ頃、雌狐の弟にも娘が産まれたのです」
そこまで話すと、狐子は襖の方にふっと目を向けて「ああ、夕食の準備が整ったようね。また後で続けるわ、先にいただきましょう!」と言い、ゆきと若殿は後ろを振り返りました。二人が狐子の話に聞き入っている間に、女将が女中に命じて三人分のお膳を用意させていたのです。いつの間にか暗くなっていたので、女将は蝋燭に火をつけました。