ゆきの子供達 第六十一章 琵琶法師の話

部屋に入ってから、若殿は声を上げました。「狐どの、狐子さんはいつでもここにいるのに、どうしてこのような吹雪の晩まで待ったのですか」

「私ども狐にとって、行きたい場所があれば、悪天候など問題にはならぬのです。この子の決心を待っているのは私だけではありません。娘を紹介した狐たちや、その者達の族長達も待っているのです。『狐子はいつ、誰と結婚するか』としつこく尋ねる周りの声に負けて、娘の思いを尋ねようとやってきたのです」と言うと狐は、狐子の方を見ました。「お前、誰か心に決めた相手でもいるのか?」

狐子は溜息をつきました。「まだ分からない」と彼女が言うと、家老は顔を伏せました。「でも、あんな、人間に興味がない狐達なんかと結婚したくない」

狐は頷きました。「なるほど。ではこちらの、お前と結婚したいと言うこの人間のことはどうなのだ?」

狐子は家老の方を見ました。「そうね。この方と結婚したいと思っていましたが、伯母上のことを思い出すと、少し不安になってしまいます」狐子は琵琶法師の方を振り返りました。「この琵琶法師は人間のことをよく知っているでしょうけど…そんな天涯孤独の狐なんかと結婚したいかどうか迷ってしまうし…」

家老は肩を落としました。「私が何年も夢見て、ようやく叶うと思ったのに、全ては幻だったのか。二年も捜し回って、その後も十数年待ちに待った相手にやっと再会できたと思ったら、よりによって彼女を不安にさせることになってしまったとは。諦めた方がいいようですね」と家老は言って、立ち去ろうとすると、狐子は彼の手を掴んで引き止めました。狐子は「ごめんなさい!そんなつもりじゃなかったんです」と言いました。そして家老を隅に連れて行くと、二人は声を潜めて話し出しました。

狐はその光景を見ると、「娘は決められないと言ったが心の中では、どうしたいかが決まっているようだな」と呟きました。琵琶法師の方へ向かい、「いつも人間の姿をしている狐は珍しい。娘がそういうことをするのは伯母の影響だよ。お前は、どうして人間の姿をして人里に住み続けているのだ?」と尋ねました。

「私は望んでこのような姿をしているわけではないのでございます。ただ、そうせざるを得ないのでございます。ある日、私が幼いころ、独りで林で遊んだのちうちへ帰ると住みかに天狗が群れて集まっていました。古木の穴に隠れて、天狗がいなくなるのを待ちました。それから私が住みかに恐る恐る近付くと、そこにあったのは倒れた家族の姿だけでした。父も母も兄弟も皆殺されてしまったのでございます」

「恐しくてその場を逃げ出し、後ろも振り返らずに一目散に林を走り抜けました。しばらくすると、疲れてお腹が空いてきて、人里の道の傍らに横たわりました。そうしているうちに、歌が聞こえてきました。ぼんやりとしながら、ふと見上げると、人間の老人が歌いながら近付いてくるのが見えました。老人は私の側に来ると、歌うのを止めて、『神様に届きますように』と、乾し肉を道端に置きました。そしてまた歌いながら歩いていきました。私は肉を食べてから老人の後をついていきました」

「その晩、老人は町に着くと、建物に入りました。私は路地に隠れて待ちました。次の朝、老人が建物を出て旅を続けると、私は、またついていきました。陽が高くなると、彼は道端で持っていた包みを広げて、食べ物の一部を地面に置いて祈りを捧げてから、食事を始めるのでした」

「そのようなことが数日間続きました。ついに、姿を変えるまじないを覚えてから、私は勇気をふりしぼり、老人が昼食をとっている時に人間の少年の姿に化けて、老人に近付いていきました」

「『小狐さま、こんにちは。これは粗末なものですが、もしよろしければどうぞ』と、老人は弁当を私の前に差し出しました」

簡単に正体が見破られたのでしばらく呆然とその場に立ち竦んでおりました。そして、尻尾でもしまい忘れたかと背中を触ったり、髭でもあるかと顔を撫てみたりしました。そして、やっと我に返り、声を上げました。『へえ?じいさん、どうして僕を「小狐」なんて呼ぶの?ちゃんと人間の子の姿をしてるだろう?』」

老人は静かに笑いました。『小狐さま、わしは山のように年をとってはおりますが、この耳と目はまだそれほど衰えてはおらんのですよ。それに、これほど長く世の中を見て回っておりますと、もちろん不思議な経験をすることは山ほどありますのじゃ。小狐が毎日毎日ふわふわと後をついてきていたと思ったら、突然落ち葉の中から降って湧いたように男の子が現れたのですから、あなたが小狐さまだと分かるのは訳ないことでございます』」

「『なんにしろ、僕に「さま」なんてつけないでおくれよ。僕は特別に偉い狐なんかじゃなくて、平凡な奴だよ』と言うと、老人の隣に腰を下ろし、貪るように食べ始めました。それからは、老人はいつも私のことを『平凡』と呼びました」

「数年間私はその琵琶法師の老人と共にあちこちを渡り歩き、老人はまるで私が弟子ででもあるかのように琵琶などの楽器の弾き方や様々な歌を教えてくれました。でも、ある日、道を歩いていると彼は胸を押さえて、そのまま倒れこんでしまいました。私は助けたいと思いましたが、何もできませんでした。『平凡や、お前は子供のないわしにとって息子のような者だ。別れるのは辛いが、わしがこの世を去る時が来たようじゃ。わしは全てをお前に遺す。達者でな』とそう言い残すと、私の腕の中で息を引き取りました。私の師匠―いや、私の唯一の友達―はこうして亡くなってしまったのでございます」

「道端の咲き乱れる野の花の中に彼を葬りました。それから私は少年の姿をやめ、若者に化けて、放浪の旅を続けました。その旅は連れ合いもなく、寂しいものでしたので、だんだん狐と棲んでいた頃を懐かむようになりました。それで、狐の住処があるという噂を求め、訪ね歩くようになりました」

「時折、そういう噂を辿っていくと、狐の住処を見つけることがありました。でも、せっかく訪ねていっても、『お前のような、尻尾が一本しかない、人間被れした、どこの馬の骨とも分からぬ奴には用はない。出ていけ!』とすげなく追い返されるのが常でした。それから、人間の世界に戻って、琵琶法師として国から国へ、城から城へ、宿から宿へと次の噂を求めて歩き続けました」

「ようやく、今年の秋、狐と関係を持つ国の新しい大名についての噂を聞きました。その国の近郊で噂を調べると、大名よりゆき様という大名の奥方が狐と関係が深いようでした。それに、ゆき様についての面白い噂を山のように聞きました」

「こちらに着くと、以前に訪ねた所より優しく扱われました。特に驚いたことは、他にも人間の姿をしている狐がこちらに住んでいるということでした。よろしくお願いします」と突然言うと琵琶法師は、狐の方へ向かって深く頭を下げました。

狐は首を傾げました。「まだ尻尾が一本しかないと?お前、渡り歩きながら、何のまじないも習わなかったのか?」

「まじないなどを教えてくれる者はいなかったのです。でも時折自分で練習しているうちに、ごく簡単なまじないだけは出来るようになりました。最近では、狐子さんが教えてくださいます」と琵琶法師は言って、狐子の方を見ました。

「そうか」狐の目は琵琶法師の視線を辿って狐子の方を向きました。「狐子や、ここに来なさい」と言うと、狐子は「はい、父さん」と言い、飛び上がって狐のところに来ました。家老は狐子の後に付いて行きました。

「本当にこの者にまじないを教えているのか?」と狐は訊くと、狐子は頷きました。「そうです、お父様。その代わりに、私が知らなかったまじないを教えてくれるのよ」と答えました。「簡単なまじないでも、とても便利なの」

狐は軽く頷きました。「そうか。よし、今度我が住処でお前の実力を試してみよう。そうすれば、お前が何本の尻尾に値するか分かるだろう」

「ありがとうございます。でも、それは自分で決められることではございません。なぜなら春までこちらの殿様にご奉公いたすことになっておりますので、勝手にお暇することはできませんので」と琵琶法師は言って、若殿に目をやりました。

「やれやれ」と狐は呟いてから、若殿の方を向きました。「では、若殿、この琵琶法師の狐を数日間貸してもらえませんか。彼の実力を調べたいのです。娘の狐子はこの頃彼のまじないの師になったようですから、彼女も一緒に三匹…」

「三人!」と狐子が言いましたが、狐は構わず「で行ってきます」と続けました。

若殿は頷きました。「琵琶法師の音楽は本当に楽しいのだが、ここにいると、争いごとになるようです。しばらく休暇をとったほうがいいでしょうね。しかし、二週間ほど後に、父上がここにお越しになる予定です。その前に、琵琶法師を連れ帰ってきてください」

「もちろん」と狐は言うと、狐子達に声をかけました。「狐子や、この琵琶法師の実力を試しに行くぞ。一緒に来なさい」

「はい、父さん」と狐子は言いました。

家老は声を上げました。「殿、狐様がお許しくださるなら、狐子さんと一緒に私も行きたいのですが。数日間お休みをいただけませんか。どうかお願いいたします」と言いながら深く頭を下げました。

「ふむふむ。父上をお迎えするための準備がまだ終わらないので、難しいところだな」と若殿が言うと、ゆきは声をかけました。

「あなた、許してあげてください。家老の代わりに私が留守を取り仕切りますから」と言いました。

「そうか?意外だな。お前も行きたいと言い出すかと思っていたが」と、若殿は優しくゆきの頬に触れました。

「気持ちは殿がおっしゃる通りですが、いくら行きたくても、今は行けませんもの」とゆきは言って、大きくなった腹を摩りました。

若殿は頷いて、狐に向かいました。「よし。この怠け者の家老と琵琶法師を一週間以内に連れて戻ってきてくれるのなら、二人とも連れて行っても構わんぞ」

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