次の朝、殿は桜と結婚したいという大名と弟の元へ使者を送った。また、宮大工を呼び出し、蓮に工芸品作りを勧めるように命令した。
そして、狐一も呼び出し、「娘達は弟の城に行きたがっているようだ。弟が了解してくれるかどうかはまだ分からないが、いずれにしても旅の準備を始めなさい」と命じた。
狐一は一礼すると言った。「恐れながら、妖怪が暴れているという噂が広まっております。今は旅をしない方がよろしいのではないでしょうか」
殿は興味なさそうに手を振った。「この三年間というもの、お前はずっとそんなことを言っているぞ。だが、今まで妖怪がこの国に現れたことなど一度たりともなく、届いたのは皆狐のいたずらの話ばかり。そんな噂でいちいち私を煩わせないでくれ」
狐一は不機嫌そうに黙ったまま頭を下げ、退いた。殿の部屋から続く廊下を歩いていると、桃と李が駆け寄ってきた。
双子の一人が「狐一おじ!父上は旅を許してくれたのですか?」と訊くと、もう一人は「今度は、私達は武士のように馬に乗りたいの!一年間馬に乗る練習をしてきたんですもの、駕籠になんて乗りたくないわ」と興奮しながら言った。そして、二人が共に「お願い!お願い!」と叫んだ。
狐一は首を振った。「それは私が決めることではありませんよ。殿に訊いてみて下さい」と言うと、双子は殿の部屋へ駆け出した。首を振りながら廊下を歩いている狐一が階段に着く前に、後ろから「やった!」と言う叫びと共に駆け寄ってくる足音が聞こえた。双子は狐一の周りで一躍りし、「父上が許してくれた!」と言ってから階段を駆け下りた。
「伯母上の子孫はみんな変わっているな。狐と人間の血が混じったせいかな。広子、俺らの子供はそのようにならないように願いたいものだ」と狐一は一人呟き、思わず苦笑した。「まあ、ここに来るまで、俺もそのように振る舞っていたがな。責任を持たされるようになってから俺も変わったな」
宮大工の詰所では、蓮が棚の材木を選んでいるところだった。殿の部屋から戻って来て、蓮の様子を見た大工が、「お嬢様、そんな大変な仕事をご自分でなさるのはおやめください」と言ったが、蓮はただ「忙しいから放っておいてよ」と答えた。
大工は黙り込んだ。そして、卓から紙を取り上げた。「お嬢様、我が殿は工芸品を作るように私にご命令なさいました。この図面のように作りたいのですけれど、この年を取った目では若者の頃のようには細かい部分がもはや見えませんので、できる自信がありません。どうか、私のこの細工を手伝っていただいて、お嬢様のその力仕事を私めにお任せ下さるならば本当に助かります」と言いながら、紙を蓮の前に差し出した。
蓮は紙を払い除け、「忙しいと言ったでしょ…」と言いかけたが、ふいに目が丸くなって、蓮は大工の方へ振り向き紙を掴もうとした。「ちょ…ちょっと待って!その絵をもう一度見せてちょうだい。こんなに見事な意匠は生まれてから一度も見たことがないわ。これはぜひとも私がこれを作らなくては」と言ってから、蓮は絵をよく検討しながら、必要な道具を持って来るように口早に大工に言いつけた。
そうして蓮は熱心に工芸品を作り始めた。そのように数日間が経った頃、殿は弟と使者のやり取りを繰り返し、訪問の日程などを決めた。
桜と結婚したいという大名との交渉も上手く言った。大名は桜を大名の甥に嫁がせるという代案に同意し、見合いの席を設けてくれるよう依頼して来た。殿はすぐにそれに同意し、日程は娘達が帰って来る頃と決めた。
狐一は旅の準備に忙しかった。護衛の家来や駕籠舁きや荷運びなどの人選、宿の手配など、旅の前に色々なことをしなければいけないのである。
姉妹達も思い思いの荷作りをした。桜は綺麗な着物、蓮は大切で小さなおもちゃの家、双子は懐に隠し持てる刃物、百合は本、鈴はたくさんのお菓子を準備していた。