その日は一日中、城のあちらこちらで狐一は広子と共にちょっとした使いに言いつけられました。その間、広子は辺りの人や場所について切れ目なく話し続けました。当初、狐一は広子の話を聞き流していましたが、次から次へと使いをやらされると、広子が前もって教えてくれた人や場所に用事を言いつけられることに、だんだん気がついてきました。そして、耳を澄まして、広子の話していることに注意を向け始めました。
ある使いの途中、二人が角を曲がると、広子は突然狐一の腕に飛び込みました。「いや!助けて!野獣が!」と叫びました。
広子を抱き抱えて、狐一は足元でニャンニャンと鳴く小猫を見下ろしました。野獣といっても、小猫がいるだけでした。
「アレが怖い野獣なのか!?あの小さなものがか?」
「いや!小さい大きいの問題じゃないない!早く追い払って!」広子は狐一に泣きついて彼の肩に顔を埋めました。
「さすがは広子ちゃん!」広子の悲鳴に反応しているように廊下に駆け出した者は皆くすくすと笑いました。
広子の温もり、柔らかさ、とりわけ彼女の女性らしい匂いにふと気付いて、狐一は頬を赤く染めました。「おい!お前!あっちへ行け!」と言いながら足先で小猫を軽く叩きました。そると小猫は欠伸をしながらゆっくりと立ち上がって歩ると、どこかへ歩いていってしまいました。
小猫が消えると、広子はようやく狐一の腕から離れて、狐一へ向かって、深く頭を下げました。「ありがとうございます。助かりました」
「とんでもない!そんなやつ、危険なはずもない!」
「だって、怖いんだもの。助かったんだってば!もう、どうして誰も私のことを分かってくれないの?」と広子は言って、逃げるように廊下を駆け出しました。
「俺が知るわけないだろう。け、女も人間も全くわけが分からん」と狐一は呟いてから、「おい、待てよ!」と叫んで、広子を追い掛けました。「何か気に障ることを言ったのなら、謝る!」
小猫が消えた所から、赤毛の顔が覗きました。「面白い。猫でさえ、まだ怖いのね」と狐子は呟きました。