第五十四章
話の続き
箸を置くか置かぬかのうちにゆきと若殿は話を続けてほしいと頼みました。
ゆきが、「その時の男の子が、今の家老なの?」と言うと、若殿が「いや違うだろう。うちの家老はその殿の家系ではないはずだよ。だけど、その弟狐の親子のことは、私達も知ってると思うけれどね」と狐子に言いました。
狐子は顔を真っ赤にしながら「話は、どこまでしましたっけ?ああ、思い出した」と話を続けました。
「月日が経ち、雌狐の孫は強くて勇敢な若者に成長しました。城内の同じ年頃の者は皆雌狐の孫に忠誠を尽くしましたし、隣の国の若殿も雌狐の孫と盟友となることを望みました」
「弟狐の娘も成長していました。従姉が人間と暮らしていたということもあり、人間に強く興味を持ようになりました。人間の姿に化けられるようになってからは、父親と一緒に従姉を訪ねることもありました。その内に、雌狐の孫の仲間達と知り合うようになりました」
「その頃、弟狐の娘は従姉を訪ねては、狐らしくいたずらして楽しんでいました。武術より本の方が好きだという一人の武家の少年が本を読みながら廊下を弟狐の娘の方に歩いて来た時のことでした。弟狐の娘がまじないで少年が歩く少し先の床の板を持ち上げたので、少年は躓いて転んでしまいました。弟狐の娘はくすくすと笑いましたが、少年の顔を見ると、笑いを噛み殺して、少年が立ち上がるのを手伝いました。その時、少しだけ少年と言葉を交わしましたが、それがきっかけで従姉を訪問するたびに、少年にも会うようになり、だんだん仲良くなっていきました。やがて、少年は城主の家来となりました」
「雌狐の孫は成人するとすぐ、政治的駆け引きにより隣国の姫と政略結婚しました。しばらくすると、二人の間に娘が産まれましたが、母親の方は産後の肥立ちが悪く、すぐに亡くなってしまいました」
「その頃から、次第に不穏な空気が漂う時代になってきました。それぞれの国は将軍の命令を無視して、隣国と戦い始めました。全国いたるところで戦が起こりました。そうして戦国の世が始まったのです」
「狐の里も戦に巻き込まれました。力を持つ狐達は恐れられ、それ故に攻撃の対象に選ばれたのです。狐の一族は様々な妖怪に攻撃されました。そういうわけで数ヶ月の間、弟狐は姪である雌狐の娘を見守ることができなくなりましたが、娘が従姉と一緒に住みたいと頼んだので、望み通りにさせることにしました」
「弟狐の娘が城に着いた時、城内は混乱の坩堝と化していました。殿様も若殿も戦で亡くなってしまい、若殿の息子である雌狐の孫が侍達を再び集め、城に退却したばかりでした。敵の大将は鬼と組んでいるという噂が城内のあちこちに広まっていました。一方、城主になった雌狐の孫は次に攻められることに対して、城を守るための準備を進めていました。他の国に援軍を送ってくれるように使者を送りましたが、隣国の亡くなった妻の国からさえも、良い返答は得られませんでした」
「弟狐の娘は手伝いたかったのですが、その時は尻尾が一本しかなかったので、まだ強い術を使うことができませんでした」
「しばらくすると、敵軍が城を取り囲み始め、籠城が始まりました」
「時々、敵陣営の中に巨大な鬼が見えました。鬼が国のあちこちを荒らし回っているという噂が城内に広まっていました」
「その段になってやっと近隣諸国の雌狐の孫の盟友達が、少数の侍と共に密かに城にやってきました。雌狐の孫達は喜びましたが、盟友達は、「援軍に来てはみたものの、我らは皆若く、どのくらいの技量を持っているとも知れない。それに我々の国も危険にさらされており、他国の援軍を受けるあてもない。我らはそんな中、父上達の反対を押し切って参上しているのです」と苦しい胸の内を話しました」
「籠城の数日間で、弟狐の娘は城の人たちと親しくなりました。その中には今や城主になった雌狐の孫の腹心の家来として、立派に成長したかつて幼馴染の少年の姿がありました。弟狐の娘はその男の人が好きになりました」
「日に日に、城の兵糧は減っていきました。城の中では乏しい食料をみんなで分け合ってなんとか飢えをしのいでいましたが、結局、皆が弱ってきた頃に敵の総攻撃に遭い、落城してしまいました。」
ゆきは口を挟みました。「どんな風に総攻撃されたの?」
狐子はしばらく考え込んでから、「ある日、鬼の姿がまた敵陣営に見えました。敵の大将と相談していたようでした。そしてついに、鬼は敵軍と一緒に城を攻撃することを了解したようでした。間もなく、鬼が大きな岩を城郭に投げつけて、壊し始めました。同時に、敵兵が一斉に攻撃を仕掛けてきました」
「一方、城内では、殿は、家来達の士気を鼓舞しながら外堀を守らせていました。しかし、現実は、心中ではもはやこれまでと密かに覚悟を決めていたのです」
「殿が外堀の方へ向かう前に、弟狐の娘は声をかけました。『殿、失礼いたします。秘密の抜け穴がありました。ぜひ一緒にいらしてください』殿は、『私が行くことはできないが、母上と赤子と一緒に三人で逃げてくれ』と答えました。そこで弟狐の娘は深く頭を下げ、従姉である城主の母親を捜すために立ち去りました」
そこで若殿が口を挟みました。「弟狐の娘がそれほど丁寧に喋ることが出来るとは、ちょっと信じがたいな」と言って、狐子の顔を訳知り顔で見つめました。
狐子の顔はまた真っ赤になりました。ゆきは若殿の方に顔を向けました。「あなたは、どうしてそのような事を言うのです?狐子ちゃんが話しているのだから、狐子ちゃんの好きなように話しても構わないでしょう?」と、また狐子の方へ向きました。「それから、何が起こったの?」
狐子はまた続けました。「従姉を捜す途中で、弟狐の娘は秘かに心を寄せている殿の家来と出会いました。そこで、『殿の命令に従って殿の母上様と姫様と一緒に秘密の出口から逃げるために、お二人を捜しているのですが手を貸してくださいませんか』と頼みました。家来は、『そうしたいのだが、殿がまだここに残るおつもりなら自分だけ逃げるということはできない。出口までなら一緒に行けるが、そこから先は行ってあげられない』と答えました。弟狐の娘はがっかりしましたが、仕方のないことと納得しました。それから二人は一緒に殿の家族を捜しました。
「間もなく、従姉である殿の母の部屋に着きました。従姉は孫娘と一緒にそこにいました。『殿が私にお孫様と三人で逃げるようにおっしゃいました。お供致しますのでお急ぎください』と話しました」
「城主の母は、『息子がそう言うのなら従った方が良いでしょう。荷物をまとめるので少し待ってください』と答えました。城主の母は手荷物に自分にとって大切な本を二冊入れた後、孫娘を抱きました。そして、弟狐の娘に先導されて城の地下へ降りて行きました」
「辿り着いた所には地下道の入口がありました。そこまで同行してきた殿の家来は、『私は戻らなければなりません。もうお目にかかることはできないと思いますが、どうぞお達者で』と言いました。弟狐の娘は、『もう会えないだろうなんて言わないでください。また会えると信じています』と答えました」
「それから彼は戦に戻り、残った三人は地下道に入って行きました」
「この地下道は実は弟狐の娘が見つけたものではなく、彼女が作ったものでした。籠城が始まった時から、毎夜秘密のうちに少しずつ掘り進めていたのです。前日の夜に、努力の甲斐あって外に通じたのでした」
「穴の中をしばらく歩くと、弟狐の娘たちは地下道の出口に着きました。辺りを見回すと、そこは城を囲む敵陣営の背後でした。城の方を見ると、分厚い黒煙がもうもうと上がっていました。城はすでに落ちていたのです」
「『息子よ、なぜこんな若さで死んでしまうの?親が子供より長生きすることになるなんて』と城主の母は泣き崩れました」
「弟狐の娘は従姉の肩を抱き支えて、言いました。『殿が討ち死になさったとは限りませんよ。今はそれよりお孫様のことを考えてください』と」
「雌狐の娘は涙を流しながらも孫娘を抱きしめて立ち上がりました。『ここにはもう私の住める場所はありません。故郷に戻りたい』と言って城に背を向け、歩き始めました。弟狐の娘はその後ろに付いて歩き、まじないを使って二人の足跡を消し去りました」
「雌狐の娘の故郷に着いてみると、そこには壊された家しかありませんでした。鬼が村を襲撃したのだということは誰の目にも明らかでした。『ここにも留まることができないようね。私のかけがえのない思い出の場所は全部破壊されてしまいました。一体どこへ行けばいいのかしら』と嘆きながら従姉はうなだれました。弟狐の娘は、『隣の国にある小さな村を知っています。そこなら密かに暮らすことができるでしょう。いかがでしょうか』と言いました。雌狐の娘が頷いたので三人はその村の方へ向かって歩きました」
「その村は狐の里にごく近い所にありました。弟狐の娘は、従姉があそこにいるなら、父上は、姪を見守るという約束を果たせるだろうと思いました。それで、近くの村に従姉を連れて来たのです」
「従姉がその村に住まいを見つけたのを確かめた後で、弟狐の娘は自分の住処に帰って、父に籠城や従姉との旅のことを伝えました。それから弟狐の娘は、好きなあの人が籠城で生き残ったかどうか確認するために、あちこちで好きなその者のことを尋ね回りました。殿が鬼に殺された数ヶ月後に、ようやくその家来が、数人の侍達や援軍に来ていた隣国の若殿達と共に地下道で城から逃げたということを知りました。でもそれ以上の消息は結局つかめませんでした。その後、弟狐の娘は人間のことを良く知りたいと思って、各地を旅するようになりました」
「一方、弟狐は姪を見守り続けました。雌狐の娘は孫娘を育て、読書や茶道を教えました。その村で暮らして十数年という長い年月のうちに、弟狐が見守っていた姪も老婆となり、やがて静かに人生の幕を閉じました。少し経ったある日、身寄りのなくなった孫娘はその村を出ました。そしてしばらくして弟狐に会いました」
ゆきは声を出しました。「え?もしかしてその子が私なの?それで、狐子ちゃんが弟狐の娘なの?」狐子がうなずいた後で、「狐子ちゃんや狐どのは私の血縁者だったの?どうしてもっと早くに教えてくれなかったの?」と言いました。
狐子はこう答えました。「伯母の願いだったの。ここを離れている間、伯母と私はよく話し合ったのよ。私がゆきちゃんと仲良くなったから、伯母はやっとこの話をすることを許してくれたの」
ゆきはまた訊きました。「好きだった人というのが家老なのね!今もまだ想っているのなら、数週間私達と一緒に国中を旅して回ったのはどうしてなの?」
狐子は溜息をつきました。「昔から人間自体に興味があったし、あの人が私のことを覚えているかどうかさえ分からないでしょう。それに、ずっと会っていなかったから、ちょっと恥ずかしかったの。でも、例のお見合い相手の間抜けな雄狐たちに会わされてから、彼のことが頭から離れなくなって…彼ともう一度話してみたいと思うようになったの」
ゆきが悪戯っぽく笑いました。「今晩はどう?」
若殿は声を上げました。「うん。いい考えだ」と言うと、女将の方を見ました。「家老のところに行って、ここに来るように伝えなさい。狐子は隠れて待っていなさい」と命じました。
女将は深く黙礼をして、立ち去りました。一方、狐子は猫の姿に化け、棚の上に飛び乗りました。